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岐阜基地OB会

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野口武彦氏スピーチ原稿

平成28年10月29日(土) 、岐阜基地航空祭前夜祭時における野口武彦氏の原稿は以下の通りです。

 

はじめまして。株式会社ブルージェット、水産航空株式会社の代表をしております野口武彦です。

ここで話す機会を与えて下さったことに感謝して、私が零戦で飛行することになったきっかけと、そこに到達した経緯を話します。

今は、夢ではありません、目標です。

株式会社ブルージェットは、私が朝日新聞社航空部パイロット兼社会部記者を27歳で退職して、会社再生と不良債権処理を目的に、各務原飛行場で動力飛行が初飛行した12月14日を設立日としてスタートし、現在は持株会社として数十社の経営管理を行っています。

(ゼロに挑戦する始まり)

5年前の秋でした、私は高熱でうなされる中、1本の電話を弁護士から受けました。「水産航空を買わないか?」というものでした。

水産航空は、調布飛行場を基地として戦後旧日本海軍のパイロットたちにより創業されセスナ2061機で、無事故で水産庁の漁業調査や教科書写真の提供をしており、倒産寸前の状態でした。

当時、私は会社を数十社経営しながら、パイロットとしては名古屋で株式会社アルペンのサイテーションジェット機の運航を請け負っていましたが、名古屋に別れを告げ、水産航空の社長となり再建に乗り出しました。

その時、私は水産航空を永遠と残すため、思いついたのが、戦後日本人パイロットが操縦を許されなかった、世界で1機の栄エンジンを搭載する零戦52型に挑戦することでした。

15歳でバック片手に家を飛び出してから、捨て身の勝負で、攻撃のみしか考えないで、何度も何度も数十億円の不良債権と戦い抜いて、死にたくなるほど苦しんで、会社グループを築き上げた、自分の生き方を、零戦と重ね、誰の力も借りず、自ら稼いだお金を使う道を決めました。

(ゼロに到達した経緯)

約4年前からゼロで飛ぶために世界大戦機の保存団体CAFに所属し、各地で友情と信頼関係を築き、ノースアメリカン社製T6テキサンで訓練を開始し、P51マスタングの資格も日本人で初めて取得しました。

そして2年前の夏、運命的な出会いをします。

アラスカのエルメンドルフ空軍基地航空祭前日、嵐の中、びしょ濡れで大戦機にカバーをかけていました。遠くにもう一人、びしょ濡れでP51マスタングにカバーをかけている男がいました。

航空祭当日、私はHARVERD4で離陸前にタワーからの指示で理由もわからず操縦席から降ろされました。2日目の朝、パイロットブリーフィングで、私が所属するアラスカCAFのアメリカ人仲間が主催者に私が操縦席から降ろされたことに猛抗議をしました。

あまりの抗議に司会が、100人以上集まる会場で私にマイクを向けました。「君は、何か言いたいことはあるか?」

私は立ち上がり、「ナッシング・ない」と答えました。

会場は静まり返り全員が航空祭に向かい、誰もいなくなった会場で1人、ヘルメットを磨いていました。

そこへ扉が開き、2日前びしょ濡れで一緒に飛行機にカバーをかけた男が私に向かって歩いて握手を求めてきました。

「ヘイ、君の名前は?日本人か?」

私は彼の手を握りながら、「私の名前はタケだ。タケの意味はサムライだ」

彼は鋭い目つきで質問します。

「君がゼロで飛びたい日本人か?」と言うので、

「そうだ、僕はPOFのゼロで飛びたい」と言うと、彼はもう一度握手を求め

「私がスティーブヒントンだ、POFの代表だ、ロサンゼルスで話そう」

数ヶ月後、私は初めてPOFのあるロサンゼルスに向かいます。

(POFの紹介)

POFはエドマロニー氏が創始者で、世界で1機の栄エンジン搭載の零戦52型を始め、製造中止になった歴史的飛行機を200機以上保有し、その半数近くを現在も飛行可能な状態にしていることでは世界一とも言える航空博物館です。

(ゼロの契約成立から完成)

私はPOFの役員会で夢を語りました。

「東京オリンピックが開催される2020年に日本でゼロを飛ばしたい」

「ヘリテージフライトをしたい、1番機 零戦 2番機 T―7(富士重工) 3番機 T-―4(川崎重工)4番機 F―2(三菱重工)のダイヤモンド編隊」をするのが夢です。と言うと役員から「スポンサーは?」と聞かれたので「まだ僕だけだ」と答えました。

彼らはびっくりしていましたが、役員一同立ち上がり僕は握手をして、契約書を頂き、デポジットとして約1800万円を振込しました。僕がゼロで飛ぶことを約束しました。

ここにその振込用紙と領収書のコピーがあります。

それから2年の歳月をかけ、今年5月に私も手伝った3度目の大規模なレストア作業が終わり、B-25ミッチェルを日本人として初めて操縦させて頂き、このような(カレンダー)(雑誌)飛行を実現しました。

(初飛行前の現在)

そしてPOFが要求する訓練を続けて、ようやく保険会社の条件など、すべてをクリアし、ゼロでの初飛行をするためロサンゼルスに到着したとき、創始者エドマロニー氏が亡くなり、組織改編や喪に服す意味もあり、私の初飛行は来年1月以降に延期され帰国し、現在に至ります。

これも、来年岐阜基地で飛ぶための必要な運命だと私は感じています。

各務原飛行場100周年のことは、1年半前に前司令からお聞きしており、是非とも実現したいと、レストア作業と私の訓練を急ぎました。

帰国して、OB会のホームページを見て、嬉しくてたまらず、事務局の同じ名前の野口さんにメールをしたところ、すぐに返信が来て、今日この場で話す機会を与えて頂き感謝しております。

POFからは、一昨日2017年の各務原飛行場100周年の話を聞かせてほしいというメールをスティーブヒントンから頂きました。

ここで会場にいる皆様に、私から2つお願いがあります。

ひとつは、私宛に、2017年各務原飛行場100周年の企画書と協賛企業個人の連名や岐阜基地の使用承諾、の手紙を下さい。

その手紙1枚で、私の零戦での初飛行スケジュールが確定します。

彼らの心は必ず動くと私は信じます、日本で飛ばすスケジュール及び見積もりを具体的に算出することが出来ます。夢は現実に変わります。

(POFへの寄付の提案)

ふたつめは、皆さんに知ってもらいたいことがあります。

日本からの何の支援も敬意がなくても、彼らPOFは多くの飛行機を愛するアメリカ人の寄付で、零戦を飛行機として愛し、維持し続ける、素晴らしい魂を私は知っています。だから多くの日本人に、POFの活動を紹介し、この零戦を永遠に飛ばし続けるための寄付の出来る仕組みを私と一緒に作って頂きたいです。

なぜならアメリカの初飛行ではフライトスーツの左腕に星条旗をつけて飛ばなければならないからです。

私の左腕に日本の国旗をつけて、ここで飛ばせて下さい。

NZの会社がゼロで飛ぶための世界で1つのヘルメットをプレゼントしてもらいました。これがそのヘルメットです。

このヘルメットにあるゴーグルは、今から72年前、零戦の整備士が戦地を転々として最後、神風特攻に出撃するパイロット一同から、感謝の意味を込めて頂いた新品で、一度も零戦で飛んだことのないゴーグルです。先人の思いがこもったこのゴーグルの飛行を、ここで実現させて下さい。

私は、年明け、歴史的にも重い、技術的にも高い壁に、ひとりで挑戦します。

1年後、ここにいる皆様にお会い出来ることを信じています。

よろしくお願い致します。

本日は、誠にありがとうございました。

 

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零戦への挑戦

平成28年10月29日(土)、各務原市産業文化センターに於いて、岐阜基地航空祭前夜祭が開催されました。今回、『飛燕・零戦を呼ぼうプロジェクト』の一環で、特別ゲストとして、米国のプレーンズ・オブ・フェイム所有の「零戦」の搭乗資格に挑戦されている野口武彦氏をお招きして、「零戦への挑戦」のお話を伺いました。

岐阜基地OB会は、今後も氏の「零戦への挑戦」の特集を組み、応援してまいります。

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「飛燕」川崎重工創立120周年記念展で展示

2016年10月15日(土)〜11月3日(木)、神戸ポートターミナル・大ホールにおいて

川崎重工業が開発・製造した「飛燕」を展示しておりました。

現在は、各務原航空宇宙科学博物館で展示中です。

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