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岐阜基地OB会

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飛行場歴史概要

<各務原飛行場(岐阜基地)の歴史概要>

岐阜基地は、岐阜県南部に位置し、明治9年 (1866年) に陸軍の砲兵演習場としてこの地に開かれました。大正6年 (1917年) に陸軍が「各務原飛行場」として開設以来、大正、昭和にかけて陸軍の飛行場として使用されました。

昭和14年 (1939年) 4月1日に三菱A6M1試作一号機がこの各務原飛行場で初飛行、翌年の昭和15年 (皇紀2600) に、海軍は零式一号艦上戦闘機として正式採用しました。

一方、陸軍が川崎飛行機に対して、昭和15年に軽戦闘機の試作を指示、昭和16年12月に初飛行したキ61試作機は、液冷エンジンを搭載して最高速度591km/hを記録し、総合評価で優秀と判定されました。昭和18年 (皇紀2603年) に三式戦闘機として正式採用され、飛燕という愛称で呼ばれました。

敗戦により基地は米軍が使用、その後昭和32年 (1957年) に一部返還を受け、浜松から実験航空隊 (現飛行開発実験団)、木更津から臨時岐阜補給隊 (現第2補給処) が移転し、自衛隊との共同使用となりました。

昭和33年6月に米軍から完全返還され、岐阜管制隊、整備学校分校 (現第3術科学校のち芦屋基地に移転) を開設、昭和37年に自衛隊岐阜病院が開業、昭和47年に第4高射群を編成等、変遷、発展してきました。

現在では、10を超える部隊や機関が岐阜基地で活躍しています。また、現存する飛行場としては、日本で最も古い歴史があるのです。

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飛行場開設以前

岐阜県南部に位置する各務原台地の内、陸軍省が明治9年(1866年)に三井山麓から二十軒までの約30町歩を取得し、大砲射的場として使用し、ひろく大砲場と呼ばれていました。

明治22年には那加から鵜沼の中山道南側一帯が陸軍省に譲られ390町歩に演習場は広がりました。野砲、山砲などの射撃訓練を鵜沼地区から三井山方面に向けて行われていました。一方、演習場では村民による草刈りが認められ、里芋や甘藷が栽培されるという長閑な一面もありました。

大正元年、各務原の地に飛行場を開設することが決定し、同4年から整地が始まり、同6年には各務原飛行場がほぼ完成しました。この飛行場へ大正6年(1917年)6月、所沢航空大隊から徳川大尉の操るモ式四型飛行機が飛来してきたのです。

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